人生で一回は「情けは人の為ならず」ということわざを聞いたことがあるんじゃないでしょうか。
ですが、大半の人が意味を履き違えているという。
そんなことで、「情けは人の為ならず」のことわざについて書いていきます。
目次
意味
早速、正しい意味から。
正しい意味は「人に親切にすれば、その相手の為でなく、巡り巡ってよい報いとなって自分にもどってくる」という意味らしいです。
ですが、僕自身もそうだったのですが、「情けは人の為にならないからかけるべきでない」的な意味に思っている人が多いみたいです。
文化庁が令和4年に発表した世論調査によると、約半数がこのことわざの意味を間違えていたみたいですね、、。
これほどまでになぜ、誤用されるのか見ていきましょう!
原因
「〜ならず」の意味を「〜ならない」と略してしまってる。
そもそも古語で「〜ならず」= 断定の「〜なり(=である)」+打ち消しの「ず(=ない)」=人の為じゃないになるみたいです!
結局、人の為にならないって意味になってないだすか?
そうですね。僕もここを疑問に思ったんですが、
おそらく一般的に間違われる意味は「情けは人の為にならない(からするべきでない)」で、本来の意味は「情けをかけるのは人の為ではなく、巡り巡って帰ってくるので自分の為になる(から情けはかけるべき)」っていうことですね。
確かに、()の部分を間違えるとあべこべの意味になっちゃいますね💦
簡単にすると、「情けは自分の為になるからかけよう!」てことだすな。
由来
残念ながら、由来ははっきりしていないみたいです。
諸説あるので、見ていきましょう!
旧5千円にもなってる新渡戸稲造先生の言葉から説
新渡戸稲造先生の著書、一日一言(初版1915年)には「施(ほどこ)せし情けは人の為ならずおのがこころの慰(なぐさ)めと知れ・・・」とあります。
意味的には、情けは他人の為でなく、自分自身にかけるものだ。という意味らしいです。
この本は大正4年から昭和元までロングセラーくらい愛されてたみたいなので、ここからこのことわざが広がったも可能性がありますね。
作者は不明だが同じく、祐成(すけなり)、心得ず思ひ、「情けは人の為ならず、無骨の所へまいりたり。・・・」と使われています。
意味的には、祐成はどうしたのだろうと思って、「情けは人の為ならずと言うが具合の悪いときのに参ったようだ。・・・」という意味みたいです。
これを見るとこのことわざ自体は鎌倉時代にあったんですねぇ、もしかしたら鎌倉時代から使われていたかもしれませんね!
終わりに
何はともあれ、確かに「ならず」って聞いたら勘違いしちゃいますよね笑
「情けは自分のためだ!」とかに変えたらだめなのかなぁ。
まあ、周りに間違って使ってる人がいたら教えてあげてください!
日常生活でほぼ使わなそうだけど、、、。