「三人寄れば文殊の知恵」ということわざを聞いたことがあるでしょうか。
僕ははるか昔に聞いたことがあるようなって感じです。
今日はふと、ちゃんとした意味が知りたくなり調べました。
意味
早速意味から言うと、
「平凡な人でも3 人で集まって相談すれば、すばらしい知恵が出る」という意味らしいです。
ここで僕が気になったのが、「3人」という人数と「文殊」という言葉です。
なぜ3人なんだ。2人じゃだめなのか。文殊とはなんぞやと思ったので調べてみました。
調べた結果なぜ「3人」なのかという点は、「3」という数字が特に大事というわけではなく、「2人だと一方の意見に傾いてしまう」、「4人以上だと今度は結論がまとまりにくそう」、そういったところから、丁度いい「3」という数字を使っているみたいですね。
続いて、「文殊」とはなにかについてですが
文殊は「智慧(ちえ)を司(つかさど)る学問の神様である文殊菩薩」のこと指すみたいです。
したがって、「平凡な人でも3 人で集まって相談すれば、学問の神様である文殊菩薩にも匹敵するくらいの知恵がでるよ」って意味になるみたいです。
ちなみに菩薩は「悟りを求めて修行している人」のことで最終的には「如来」になることを目標にしてるだす!
文殊菩薩はこんな感じ⇓
左絵に剣、右手に経巻を持ち、獅子の上に置かれた蓮華台の上に座るのが一般的みたいです。
使い方
自分なりに使い方を考えました。
参考程度にどうぞ〜
①一人では到底思いつかなかったが「三人寄れば文殊の知恵」というように、
友達と話していたらいいアイデアが思いついた!
②「三人寄れば文殊の知恵」と言うもんだからみんなと話し合ってみた。
③彼は一人で奇抜な素晴らしいアイデアを出すので、「三人寄れば文殊の知恵」ということわざは似合わないなぁ。
※「平凡な人〜」とあるので、目上の人や天才などは避けたほうがいいみたいです。
本当に文殊の知恵が思いつくのか
このことわざで思ったのが、本当に平凡な人でも3 人で集まって相談すれば、学問の神様である文殊菩薩にも匹敵するくらいの知恵がでるのか。
普通に考えてそんなこと無い気がしてきました。
僕が思い浮かべた例がこんな感じ⇓
A「今度のプレゼンの企画どうする?」
B「あ〜。これでいいんじゃね。みんなどう思う?」
C「俺はそれでいいとおもうよ。」
A「俺も。」
B「じゃ、これで決定。」
極端すぎましたが、三人で話し合ってるのを想像すると、こんな感じの会話を思いついてしまいます。
そこでネットで調べてると、
著者:北側達夫さんの「文殊の知恵の時代」というのを見つけました。
中学三年生の国語の範囲みたいですが、初耳でした。
興味本位で読んでると本の一部に、
素晴らしい知恵を生みだすには三人が独自の視点で徹底的に検証することが求められる.....
と書かれてました。
これを読んで思ったのが、違いを恐れたり、世間体を気にしていたら素晴らしいアイデアは浮かばず、自分たちの価値観をしっかりぶつけ合うことでしか文殊の知恵生み出すことができないということです。
たしかに、一人ひとりが個人の価値観をぶつけ合えたら、楽しそうだし、新たな発見がありそうですね!
僕の上の会話の例だと、みんな共感しあってるだけで、それぞれの価値観を出してません。
しかし、少しでも変わったことをすると出る杭は打たれる現代では自分の価値観を全面的に出すのはかなり難しいことだと思います。
それを乗り越えてまで、ブレずに自分の価値観を出せる芯が通った人は尊敬しか無いです。
ここまでの結論だと、「三人寄れば文殊の知恵は、個人の価値観をぶつけ合えた人達でしか出ない!」ですね。
終わりに
なにはともあれ、知恵どうこうより、自分の価値観や個性は大事にしていきたいですね。
ちなみに僕は、卒業式の決意表明の内容を自分で決めれず、先生に考えてもらった結果、「周りに流されない立派な大人になりたい!」でした。
とまぁ、先生に考えてもらってる時点で「周りに流されないという点」がもう矛盾してます笑。
本当はでかい夢を語りたかったんですが自分の価値観出せなかったんですよ。
なので、なおさら「プロサッカー選手になりたい!」、「総理大臣になりたい!」って言ってたやつの背中はかっこよく見えましたね。
かなり話がそれましたが、「三人寄れば文殊の知恵」の意味や使い方でした!